バスジャックに遭って思ったこと
昔、ロス空港でバスジャックに遭いました。西鉄バスがハイジャックされたのも、実家から歩いて10分の距離でしたが(さすが修羅の国!)
私は、大学入学とほぼ同時にバブルが弾けた、運の悪い団塊ジュニア世代です。18歳人口は200万人を超えており、日東駒専さえ難関化した時代でした。大学を出て就職できないと大事だ思い、在学中になるべく難しい資格を取ろうと米国公認会計士(CPA)の勉強を始めました。
90年代、外国人大学生のCPA受験を受け付ける州は、モンタナとアラスカしかありませんでした。両州ともさえない田舎で、公認会計士になるアメリカ人の若者が少ないため、外国人にまで門戸を開いていたのです。
なんとなくアラスカは遠い感じがしたので、受験地にはモンタナを選びました。その選択のせいで、寿命が縮む思いをするとも知らず…。
事件が起きたのは、公認会計士試験を終えてモンタナ→デンバー→ロスと乗り継いだ時。ロスで、国内線から国際線へ向かうシャトルバスの中でした。
よく晴れたロスの昼間です。バスには、ハネムーン帰りらしいアジア人カップルが3組ほど、白人のおばさん、そして私しか乗っていませんでした。
バスが急停止したかと思うと、鼻にツンとアルコール臭とホームレス臭がしました。車内に怒声が響いたので顔をあげると、どう見てもヤク中だろうという異様な男が運転手さんに殴りかかっていました。破れた軍服姿で、足は1本しかありません。ベトナム帰りの傷痍軍人のようです。
運転手さんはメキシコ系なのか、英語はよく分からないようでした。ただ男がギャーギャー騒いで暴力をふるって来たので、バスジャックされたということは分かったようです。ルートを外れて飛行場から出る道に入りました。
相手はどう見ても正気ではありません。運転手さんとしても、言うことを聞くしかなかったのでしょう。ボロボロの軍服でしたが、武装して見えましたし。カストロ議長のような髭面でした。
運転手さんが言うことを聞いたので、続いて男はバスの乗客を片っ端から殴り始めました。小柄なアジア人は、こういう時に弱いです。男性は頬を殴られ女性は頭をはたかれ、コの字型に並んだ座席順にボコボコにやられていきました。私の向かいのカップルから順にです。
私はたまたま最後でした。私の右隣には、赤い服を着た大柄なアメリカ人のおばさんが座っていました。
ついに男がおばさんの前まで来て、拳を振り上げました。するとおばさんはスックと立ち上がり、ものすごい声で
Knock it off! You may not like your life, but that’s not my problem!
と一喝しました。
相手は気がふれた、アル中またはヤク中の男です。銃や手りゅう弾を出したら一巻の終わりですが、おばさんの迫力もすごかった…。
私は当時23歳。心底「あぁ、ここで死ぬのか」と思いました。「おばさん、やめて!撃たれるよ!」と。
人間、あまりに怖い目に遭うと、まるで棒を飲み込んだように微動だにできなくなりますが。
男の顔が怒りに歪み、何をとばかりにさらに高く拳を振り上げました。が、おばさん の反撃に男がひるんだその瞬間、後ろからアジア人の乗客たちが男の腕を捕まえました。すかさずバスの運転手さんが扉を開いて、もみ合いながらも男を路上に突き落としました。
この場でおばさんがハイジャック犯に怒鳴った
★Knock it off!
は印象に残りました。「やめろ!」という意味で、
★Stop it!
★Cut it out!
も同じです。
おばさんが次に言ったセリフも強烈でした。
★You may not like your life, but that’s not my problem!
と怒鳴ったのです。
ここでは、助動詞mayを使っています。「~かもしれない」という言い方でしたね。「あなたは、おそらく自分の人生が気に入らないのでしょう」という意味です。
犯人は40代に見える男でしたから、70年代のベトナム戦争で足を失ったのだと思われます。精神も蝕まれてつらい20年を過ごしたではないかということは、一目で分かりました。
ただおばさんは、その男に対してthat’s not my problemだと言い放ったのです。「私の知ったことじゃないのよ」という意味です。冷たいなぁ。
アメリカ人女性の鼻柱の強さ、治安の悪さ、徹底した個人主義、そしてあの日あのバスで男が放った暴言と悪臭…。20年たった今でも鮮烈に覚えています。
CPA試験は無事に合格しました。もし行きがけにバスジャックに遭っていたら、ショックで落ちていたと思います。帰りがけも、もし男が拳ではなく銃や手榴弾を使ってバスジャックをしていたら、乗客や運転手さんに犠牲者が出たかもしれません。
必ずしも明日が無事に来るとは限らない、という人生の教訓になりました。
このブログに来てくださる方は、より良い明日を信じて英語の勉強をしておられる方だと思います。私も遊びたい盛りに、モンタナくんだりまでCPA試験を受けに行くようなまじめな人間です。
「死ぬのかな」と思った時、不思議に後悔はなかったです。社会にも出ず、人の愛も知らずに23歳の若さで死ぬというのは悲しいことでしたが、常に努力を重ねてきたことは自分が一番よく知っている、という自負がありました。ここで終わるなら天国行きだろうと。
この6年後に洗礼を受けて、クリスチャンになりました。
今は東京よりずっと治安の悪いロンドン暮らしで、いつ追い剥ぎにやられるかテロに遭うか分からない、嫌な緊張感の中に生きています。ただもしそうなっても、やはりこの人生に悔いはないです。
いつ死んでも後悔がないよう、懸命に生きる日々をまだ続けているのです。